共感性羞恥心

共感性羞恥心

これにこの名前がついていることを知った。ちょっと安心した。名前がついているという事は自分だけではないと分かる。変な言い方かもしれないが今までの孤独が解消されて「何だ皆もそうだったのかあ」と明るい所に出たような気がした。

完全に自分がそうだ。強度かもしれない。それは認める。認めたのだからそれを強引にスルーしてみることはできるのではないか。恥をかいている者を上から嘲笑してみたらどうか。少なくとも自分は楽になり助かる。承知してそのことをやるのだからできないことはない筈だ。でもそれは今まで自分が嫌っていた奴になるからできないか?

人が恥ずかしそうにしているところを笑うことができるか

共感性羞恥心があるから人の心に共感して思いやる。

自分が同じように恥をかきたくないからその人を思いやっているだけであって本当にその人のことを考えているのではなく自分が恥をかくのが嫌だと思っているだけではないのか?

だからいい人だと言われやすいのか?いいやつだと言われやすいのか?

プロの見慣れた芸人がコメディアンが恥ずかしい恥をかいているところを見て滑稽だと笑えるのはなぜか

自分ではそんなバカなこと愚かなことはやらないと言う蔑みで笑うのか

素人の人が同じことをやって恥ずかしくて見られないのはなぜか

テレビ番組ドラマ映画でも一度目より二度目の方が安心して観ることができるため面白い。内容も入ってくる

テレビ番組ドラマ映画で恥ずかしいシーン恥をかくようなシーンが嫌なのは共感性羞恥心があるからなのに本の内容がそうであってもそんなことないような。テレビと本では入り込みが違うのか?本は頭の中だけの出来事で隠しておけると思うからか?テレビは視覚を通すからより現実に近いのか?

そもそも共感性羞恥心とは

そもそも羞恥心とは

そもそも恥ずかしいとは

そもそもイヤとは

そもそも嫌いとは

そもそも苦手とは

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